ヒトリゴト

意図と不図

人生に広がりを与えてくれる出来事の多くは、意図した先より不図した瞬間に現れる事が多い気がする。

こうすれば上手くいく。
あの人に頼めば助けてくれる。
あの場所に行けば幸せになれる。

こうした意図が入ると、多くは空振りに終わる。
その意図にたどり着く順序や心構えが正しければ、意図した通りに進むこともあるけれど、予想を超えた出会いや気づきはなかなか見つからないもので。

だからこそ、目的地にピンだけ立てて歩くことさえやめなければ、

あわよくば、道中を楽しむ軽さを持ち合わせることができたなら

きっと、不図した出会いから、実は最速で、思っていたより高い目的地に導いてもらえるんでしょうね

今世の中に溢れているコンテンツの数々。
その多くに、不要な意図が入りすぎて人をコントロールするために使われてしまっている。
お金に換金するためだけに使われてしまっている。

学んで得た知識を
それをもとに行動した智恵を
その先で見た事実から
何度も何度も真理に触れることで
たくさんの人が幸せになればいいな

ヒトリゴト

今を生きてる人

最近流行の“今を生きる”ってやつ

結構危ないんじゃないかなっていうヒトリゴト。

SNSでも目にする機会が増えてきた。
ワクワクに従って生きる。とか
楽しめることだけして生きていく。とか

このタイプの今を生きてる人たちには、目的地がないような気がしています。

目的のないワクワクは、麻薬と一緒じゃないかな?
だって、ゴールがないから、今がよければそれでいいって言ってるのと同じですよね?

今が良ければという傲慢さを、正当化して今使われている“今を生きる”という言葉に置き換わってしまっている。そんな気がしてなりません。

ワクワクがなければカラダが動きにくくなるから、ワクワクや楽しさの軽いエネルギーは大事。
でもそれだけじゃ、脳みそが迷子になる。

まず初めに目的があって、そのための今やってることに取り組んでるんだ!ってなったら、もう何やっててもワクワクでしょ?

“何のために”が無ければ、本当の今は生きられないと思うんだな。

もちろんその先にもっと色々あるけど、まずは、何のために?

話はそれからだ

ヒトリゴト

自己責任で生きる

自分の人生を自分で決めている

という感覚がない若者が増えている気がする。

今の自分は、全て過去の自分の選択が繋がってできている。
選択して来た、というと何を実行して来たかにフォーカスしがちだけど
”何もしなかった”というのも立派な選択。

その連続が繋がってみんな今を通り過ぎている。

この、1つひとつの選択を自分でしているという
自覚がない人が増えている気がする。

自分で決めてる自覚がないから、失敗すれば人のせいにするし
なんなら初めから失敗すると思ってた。ぐらいに言っちゃう。
無理だと思ってたけど○○さんがやれって言うから、、、みたいな。

だから、自覚がない人の失敗は、成功の元になっていない気もする。

失敗してもいいからやってみなよ。と言うのは
本気でやった時に初めて力を発揮する。

自覚のないチャレンジの失敗は、やっぱりね。と言う
諦めの気持ちを助長するだけで何も生まないどころかマイナスに働く。

万が一いろんな事がうまく言ってるとしても、
本人の充実感は少ないんだろうなぁ。

自己責任で生きるだけで、失敗しても成功しても
人生は充実する。